「宇治拾遺物語」 <伏見修理大夫俊綱の事>
これも今は昔、伏見修理大夫（中略）尾張に下りて国行ひけるに、そのころ熱田の神いちはやくおはしまして、おのづから笠をも脱がず、馬の鼻を向け、無礼をいたす者をば、やがてたち所に罰せさせおはしましければ、大宮司の威勢国司にもまさりて、国の者どもおぢ恐れたりけり。
それにこの国司下りて、国の沙汰どもあるに、大宮司われはと思ひてゐたるを、国司咎めて、「いかに大宮司ならんからに、国にはらまれては、見参にも参らぬぞ」と言ふに、「さきざきさることなし」とてゐたりければ、「国司も国司にこそよれ、わが身にあひては、かうは言ふぞ」とていやみ思ひて、「知らん所ども点ぜよ」など言ふときに、人ありて大宮司に言ふ。「まことにも国司と申すにかかる人おはせず。見参に参らせ給へ」と言ひければ、「さらば」と言ひて、衣冠に衣出だして、供の者ども三十人ばかり具して、国司のがり向かひぬ。国司出であひ対面して、人どもを呼びて、「きやつ、たしかに召し籠めて勘当せよ。神官といはんからに、国中にはらまれていかに奇怪をばいたす」とて召したてて結ふほどに、籠めて勘当す。
そのとき大宮司、「心憂き事に候ふ。御神はおはしまさぬか。下﨟の無礼をいたすだにたち所に罰せさせおはしますに、大宮司をかくせさせて御覧ずるは」と泣く泣くくどきて、まどろみたる夢に、熱田の仰せらるるやう、「このことにおきては、わが力及ばぬなり。その故は、僧ありき。法華経を千部読みてわれに法楽せんとせしに、百余部は読み奉りき。国の者ども貴がりて、この僧に帰依しあひたりしを、なんぢむつかしがりて、その僧を追ひ払ひてき。それに、僧悪心を起こして、『われこの国の守となりて、この答へをせん』とて生まれきて、今国司になりてければ、わが力及ばず。その先生の僧を俊綱といひしに、この国司も俊綱といふなり」と夢に仰せありけり。
人の悪心はよしなきことなりと。