『おらが春』小林一茶
こぞの夏、竹植うる日のころ、憂き節茂き浮き世に生まれたる娘、愚かにしてものに聡かれとて、名を「さと」と呼ぶ。今年誕生日祝ふころほひより、てうちてうちあはは、おつむてんてん、かぶりかぶり振りながら、同じ子供の風車といふものを持てるを、しきりにほしがりてむづかれば、とみに取らせけるを、やがてむしやむしやしやぶつて捨て、露ほどの執念無くただちにほかのものに心うつりて、そこらにある茶碗を打ち破りつつ、それもただちに倦みて、障子のうす紙をめりめりむしるに、「よくしたよくした」と褒むればまことと思ひ、きやらきやらと笑ひて、ひたむしりにむしりぬ。心のうち一点の塵も無く、名月のきらきらしく清く見ゆれば、跡無き俳優見るやうに、なかなか心の皺を伸ばしぬ。また人の来たりて、「わんわんはどこに」といへば犬に指さし、「かあかあは」と問へば烏に指さすさま、口もとより爪先まで愛嬌こぼれて愛らしく、いはば春の初草に胡蝶の戯るるよりも優しくなん覚え侍る。